もう25年前になるのかと、新聞の記事を読んでしまいました。
記事には当時、航空管制官をしていた方と日本航空123便の機長とのやり取りが載っていました。
普通、航空機の機長、管制官の会話は英語と決まっているのですが、あの時は日本語で話してください
といったそうです。 少しでも機長の負担を減らすためのことだったそうです。 墜落の瞬間「あ?」という
声で終わったそうです。 記事を読んでいると目の前に情景が浮かんでくるようです。
私もその当時、たまたま南伊豆の布良という町へ海水浴に出かけていました。 ジャンボ機は南伊豆の
上を掠めて御巣鷹のほうに方向を変えた地図が印象的です。
最近、激安の航空便が話題になっていますが、安全面は大丈夫なのか少し心配になります。